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ホーム   »  2013年01月12日
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お世話になっております。

原発関連ニュースをお知らせ致します。


 2650平方キロ。1986年4月の旧ソ連・チェルノブイリ(現ウクライナ)原発事故による放射能汚染で使用できなくなったベラルーシ国内の農地の総面積だ。国土の約13%、神奈川県がすっぽり入ってしまう広さである。壊滅に瀕(ひん)したベラルーシ農業の生き残りを期して、同国政府が取った措置は汚染状況に応じた農作物の栽培だった。

 ◆11ヘクタールごとに区分け

 まず、汚染のひどかった地域で11ヘクタールを1区画として汚染濃度を区分けする「汚染地図」を作製、セシウムやストロンチウムなどの濃度を調べた。

 そのうえで、汚染度が高い地域では食用の野菜を作らないことを徹底し、濃度の高い農地では家畜の飼料用野菜やオイル用の菜種などを作っている。これらは、収穫して最終的に出荷するまでの過程でセシウムなどの濃度を下げる加工も行っている。国、企業、研究機関などによる二重、三重のチェックが行われ、区分けは数年ごとに見直す。

 11月下旬にチェルノブイリ原発と国境を挟んで北側に位置する同国ゴメリ州に向かった福島市の視察団は、州都ゴメリ市の国立放射線学研究所を訪ねた。薬剤散布による放射性物質の除去方法や出荷までの過程で放射性物質がどのように減っていくのかなどを研究する拠点だ。

 アベリン・ビクトル所長は「除染によって農地が元の状態に回復することはあり得ない」と話す。当初、政府は除染での農地回復を目指したが、目立った効果がなく中止した経緯があるのだ。事故から数年間は風評被害もあった。「『ゴメリの食品はいらない』といわれたが、現在では、そうした声はほとんど聞かれない」と語る。

 話を聞いた視察団メンバーの八巻和夫さんは、福島市で20年余りにわたって農業を営んでいる。震災後、カキの木は除染したものの、リンゴの木100本以上を泣く泣く切り倒した。八巻さんは「汚染状況に合わせた栽培は検討に値する。ベラルーシの放射線量が徐々に減少していることにも勇気づけられた」と話す。

 ◆避難に2つの基準

 ベラルーシでは、汚染地域における避難や移住について、「実効被曝(ひばく)線量」と「土壌汚染濃度」の2つの基準を設け、5段階に分けている。事故発生当時、旧ソ連政府は被曝限度を年間100ミリシーベルトに設定、段階的に基準値を低くし、1991年に5ミリシーベルト以下、現在は安全基準を1ミリシーベルト以下としている。

 ビクトル所長は福島第1原発事故後まもなく、年間積算被曝線量の目安を1ミリシーベルトとした日本の対応について「非常時の基準としては相当厳しい。白か黒かと明確にしたい気持ちも分かるが、グレーを受け入れることも大切だ」と述べ、安全基準を緩やかにすることも復興の加速につながるとの考えを示した。

 視察団の一人で保育士の小賀坂清子さん(42)が、子育て中という現地の女性教員に、日本では高い放射線量を心配して子供たちを外で遊ばせない人も多いと語りかけた。すると、女性教員は「放射能対策としては正しいだろうが、それはすごく悲しいことだ」と応じた。ほとんどの市民が明るく過ごす様子に、小賀坂さんは「泥団子や砂遊びの感覚は大事なこと。母親が安心できるような情報提供する環境整備が重要だ」と話す。

 そんなベラルーシの今を見た福島赤十字病院の今野修第1外科部長(61)は「実際の被曝とは別に、放射線は危ない、放射線は大変だという心理面の不安感をどう除くかが大切とも感じた」と話す。それは四半世紀にわたり避けられぬ現実で生き抜いてきた強さかもしれない。(ベラルーシ・ゴメリ州で 大渡美咲)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121227-00000508-san-eurp
※この記事の著作権は配信元に帰属します。



お読み下さいまして、あろがとうございます。

また次回お会いしましょう。





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プロフィール

原発見守り人

Author:原発見守り人
南相馬市に親戚がいる40既婚男です。
毎年車で遊びに行くので、福島第一も第二もドライブ途中の風景でした。
それが今では日本全体を揺るがす場所になってしまったとは今でも信じられません。
原発情報を発信しながら早く平和な土地に戻ってくれることを切に願っています。
(写真はアクアマリンふくしまのシーサー君)


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