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いつもありがとうございます。

原発関連ニュースをお知らせ致します。

 ◇「核」の本質伝える絵本作り−−アーサー・ビナードさん(44)
 「広島は歴史を変える意味を持つのか、それともただの観光地か。僕は広島を核への終止符を打つ場所にしたい」
 米国で過ごした幼少期、原爆は「戦争終結を早めた」と習った。「なぜ2発落とす必要があったのか」と疑問に思う程度だった。95年に原爆資料館を訪れ、初めて「ピカドン」と呼ぶことを知った。製造した側の造語ではなく、爆弾の構造を表したものでもない。体験した人間こその言葉だ。その時、核兵器には「人類の幸福のため」という目的が完全に抜けていることに気づいた。
 「核と平和利用のペテンを知ったのは第五福竜丸事件(54年)を通じてだった。幼い頃、米国の水爆実験で被ばくした第五福竜丸事件を描いた画家ベン・シャーンの画集が家にあった。それが気になっていた。来日後、機密解除された米国の文書などを調べると、見事に同時にいろんなことが起こっていた」
 米国は53年から「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」というキャンペーンを張り、国連でアイゼンハワー大統領が核の平和利用を訴えた。冷戦下、人類絶滅に結びつきかねない核兵器に、世論は厳しい様相を呈し始めていた頃だ。米政府は核の平和利用を政策として打ち出す一方、翌年には南太平洋・ビキニ環礁で水爆実験を実施した。日本は同じ時期、米国の世界戦略に沿う形で、中曽根康弘氏(後に首相)や正力松太郎氏(原子力委員会初代委員長)が中心となって原子力開発関連予算を通した。
 「生き残って核実験を知らせた第五福竜丸の乗組員は英雄。核兵器を『平和利用』の名で隠していたことが第五福竜丸を通じて分かり、ベン・シャーンの絵に文を寄せる形で06年に事件を絵本にした。その後、核の本質を伝えるために広島を風化させてはいけないと思い、新しい絵本を作ることを決めた」
 東京から広島に通った。資料館の遺品を主人公にした創作が佳境に入っていた時、東日本大震災が起きた。震災前、ウランや原爆の仕組みなど、市民生活になじみのない言葉を絵本に盛り込むのは難しかった。しかし震災後はセシウムやシーベルトなどの専門用語が当たり前に語られる。
 「読者の意識が変わり、絵本で伝わるものが膨らんだ。広島というレンズを通せば、福島に通じる表現ができるのでは、と広島に引っ越した。広島がレンズになるには『核の平和利用』というごみをふき、磨く必要がある」【矢追健介】
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 ■人物略歴
 ◇あーさー・びなーど
 1967年米ミシガン州生まれ。大学卒業と同時に来日し、日本語で詩作を始めた。01年に詩集「釣り上げては」で、外国人初の中原中也賞を受賞した。

8月20日朝刊





お読み下さいまして、あろがとうございます。

また次回お会いしましょう。





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プロフィール

原発見守り人

Author:原発見守り人
南相馬市に親戚がいる40既婚男です。
毎年車で遊びに行くので、福島第一も第二もドライブ途中の風景でした。
それが今では日本全体を揺るがす場所になってしまったとは今でも信じられません。
原発情報を発信しながら早く平和な土地に戻ってくれることを切に願っています。
(写真はアクアマリンふくしまのシーサー君)


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